お遍路とは四国八十八箇所の霊場巡礼、由来や服装・作法を解説
更新:2023.07.04
お遍路とは
お遍路とは、四国出身の弘法大師空海が42歳の時に開いたとされる八十八箇所の霊場(札所)を巡る巡礼、空海ゆかりのお寺を巡る旅のことを指します。
巡礼者を「お遍路さん」と呼びます。
白装束に菅笠を被り、金剛杖を持って歩く独特のスタイルで知られています。
各霊場は、札所(ふだしょ)と呼ばれ、一から八十八まで番号がついていますが、順番に回らなければならないという決まりはありません。
巡礼者は行く先々で空海に関する話を見聞きして、功徳にあずかることを願いながら進みます。
各札所に参拝するごとに名前を書いた「納札(おさめふだ)」を納め、大師堂ではお経を納めて納経帳に証明の印をいただきます。
一から順にまわる巡り方を順打ち、逆に八十八からまわる巡り方を逆打ちと言います。
全長は約1450km、かなりの長旅ですが、自分の心身が鍛えられ、信仰心も高まり、故人の供養もできます。
地元の人々は巡礼者に食べ物や宿を提供することで功徳にあずかれます。
八十八箇所全てを巡ると「結願成就(けちがんじょうじゅ)」、その後高野山金剛峯寺にお参りすると「満願成就(まんがんじょうじゅ)」となります。
お遍路の服装
お遍路の正装
◾️菅笠(すげがさ)
日除け、雨具として
◾️輪袈裟(わげさ)
袈裟を簡略化したもの。修行中の身であることを表します。
◾️白衣(びゃくえ)
白装束。背中には「南無大師遍照金剛」の文字
◾️納札入れ
納札、小物を入れる
◾️金剛杖
弘法大師の化身とされる。粗末に扱ってはならない大切な杖
◾️数珠
お祈り用
◾️頭陀袋(ずだぶくろ)
経本、納経帳、納札、数珠、蝋燭、線香、賽銭など巡礼に必要なものを入れるバッグ
◾️手甲・脚絆・白足袋
手足に着用するもの
お遍路の服装について
正装については、全て1番札所で揃えられます。
お遍路さんが白装束を着用するのは、旅の途中でいつ命を落としても構わないという覚悟を示すために始まったとされています。
白装束の背中には「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と真言宗の開祖、弘法大師空海のことが書かれています。
「弘法大師空海の光輝く慈悲、金剛石のような智慧を心から信じて頼りにします」という意味になります。
また、菅笠や札入れには「同行二人(どうぎょうににん)」と書きます。
これは巡礼中たとえ一人であっても、お遍路中は常に空海と一緒であるという意味です。
これが正装とされていますが、現代では歩きやすいシャツにパンツ、スニーカーという下記の画像のような軽服スタイルでも全く問題ありません。
お遍路のルート
お遍路は、四国の4県全てをまわります。
◾️徳島県 1番〜23番札所
求道心を起こす「発心の道場」と呼ばれています。
◾️高知県 24番〜39番札所
実践の場「修行の道場」と呼ばれています。
◾️愛媛県 40番〜65番札所
迷いから目覚める「菩薩の道場」と呼ばれています。
◾️香川県 66番〜88番札所
悟りに至る「涅槃の道場」と呼ばれています。
札所での作法
札所に着いたら知っておきたい、札所での作法は下記の手順になります。
1 札所に着いたら三門で合掌一礼
2 手水舎で手と口を浄める
3 鐘をつく
4 納札を納める
5 線香、蝋燭、賽銭をあげる
6 お経をあげる
7 納経所でご朱印を受ける
8 三門を出て再び合掌一礼
古来、日本には宗教上の聖地を巡礼する習慣がある
「聖地巡礼」という言葉を近年耳にする機会が多くなりましたが、そもそも日本では古来より、神社仏閣や聖地霊場を参拝してまわる習慣がありました。
日本で最初に巡礼地として形が整ったのは熊野詣、12世紀には近畿地方の観音菩薩の聖地を巡る「西国三十三所巡礼」が行われていたといわれています。
こちらは日本最古の霊場とされ、近畿地方の2県と岐阜県に33箇所の観音霊場があります。
西国三十三所巡礼の影響を受け、鎌倉時代に成立した関東の「坂東三十三所」。
こちらは関東地方の1都、6県に33箇所の札所があります。
そして埼玉県秩父地方にも「秩父三十四所」が生まれ、江戸時代になると一般庶民も巡礼に盛んに出るようになりました。
この他に長崎県五島市の福江島や黄島のお寺にある霊場「五島八十八所」もあります。
空海が日本と唐を往来する途中に訪れたと伝わっています。
現在日本で最も知られている巡礼が「四国八十八箇所(しこくはちじゅうはっかしょ)」ですが、このように現在では日本のあちこちに巡礼スポットがあります。
この記事を書いた人
廣田 篤 広島自宅葬儀社 代表
葬儀業界23年、広島自宅葬儀社代表。厚生労働省認定技能審査1級葬祭ディレクター。終活カウンセラー。前職大手葬儀社では担当者として 1500 件、責任者として1万件以上の葬儀に携わる。実母の在宅介護をきっかけに広島自宅葬儀社を立ち上げて現在に至る。広島市内だけでなく瀬戸内海に浮かぶ島々から、山間部の世羅町、神石高原町まで広島県内あらゆる地域の葬儀事情に精通する広島の葬儀のプロ。身内の死や介護の経験、数々の葬儀を通じての縁から「死」について考え、文章にすることをライフワークとしている。